ERIC – EJ724880 – Educare and Educere: Is a Balance Possible in Educational System?, Educational Forum, The, 2004
Craft (1984) は、英語の “education” には二つの異なるラテン語根があると指摘した。 それは、訓練する、型にはめるという意味の「educare」と、導き出すという意味の「educere」である。 この2つの意味は全く異なるものですが、どちらも “education “という言葉に表れています。 このように、今日の教育についての激しい議論の多くには、語源的な根拠があるのである。 このように、教育という言葉には語源がある。 一方は、教育とは知識の保存と継承であり、若者を親のイメージ通りに形成することであるとしている。 もう一方は、来るべき変化に備えて、新しい世代がまだ未知の問題を解決するための準備として、教育を捉えている。 一方は、丸暗記と優秀な労働者になることを求める。 もう一方は、疑問を持ち、考え、創造することを求めている。 さらに複雑なのは、学校教育には両方の機能を期待しながらも、エデュケア(教育)を推進する活動しか認めないというグループもあることである。 教育目的のバランスは、教育者にとって有効な焦点である。 しかし、そのためには、まず組織のあり方、あるいは意思決定のあり方を変えることから始めなければならない。 そのためには、ステークホルダーの意見を取り入れ、教育のビジョンを共有し、教育者の役割を変えていくことが必要である。 このような発想の転換を実現するために、教育者は自分自身の教育に対する習熟度やメンタルモデルを検証する必要がある
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